2008年11月09日

そして政界に‥

イリノイ州議会議員

ハーバード大学ロー・スクールを修了後、
シカゴに戻り有権者登録活動に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。

またシカゴ大学ロースクール講師として合衆国憲法を1992年から2004年まで講じていた。

人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して
1996年にイリノイ州議会上院の議員に選出され2004年1月まで務めた。

なお、2000年には連邦議会下院議員選挙に出馬したが落選した。  


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2008年11月09日

青年時代

1979年に同高校を卒業後、
カリフォルニア州ロサンゼルスの単科大学の私立オクシデンタル大学に入学。

2年後、ニューヨーク州のコロンビア大学に編入し政治学、特に国際関係論を専攻する。

1983年に同大学卒業後、ニューヨークで出版社[2]やNPOで勤務し、1年間を過ごした。
その後、イリノイ州シカゴに転居した。
シカゴでは教会が主導する地域振興事業(DCP)の管理者として3年間従事し、
職業訓練支援などを行った。
事業所の人員を1名から13名に増員させ、
年間予算を当初の7万ドルから40万ドルに拡大させるなどの業績を残した。

1988年年央にケニアと欧州を旅行し、ケニア滞在中に実父の親類と初めて対面した。
同年秋にハーバード大学ロースクールに入学。

1990年2月にはアフリカ系として史上初の「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長を務めた。

1991年、法学博士の学位を取得、
同ロースクールをmagna cum laudeで修了しシカゴ大学の法学フェローとなる。

1992年に、シカゴの弁護士事務所で知り合ったミシェル・ロビンソンと結婚し、
1998年にマリア、2001年にサーシャの2人の娘をもうけた。
1995年には、自伝『Dreams from My Father』を出版。  


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2008年11月09日

生い立ち

1961年8月4日にハワイ州ホノルルにあるカピオラニ小児産婦人科医療センターで出生した。

実父のバラック・オバマ・シニアはケニアのニャンゴマ・コゲロ生まれのイスラム教徒であり
母親はカンザス州出身の白人、アン・ダナム。

2人はハワイ大学で出会い、1961年2月2日に周囲の反対を押し切って結婚。

イスラム教の戒律ではムスリムの子はムスリムであらねばならないとされているが、
本人は現在キリスト教徒である。
これについてオバマは自伝で「父はムスリムだったが殆ど無宗教に近かった」と説明している。

両親は1963年に別居し、1964年に離婚した。
1965年に実父はケニアへ帰国。異父妹が1人。異母兄弟8人。

なお、オバマ自身は1971年に一度だけ実父と再会している。

人類学者となった母がインドネシア人地質学者のロロ・ソエトロと前夫と同じく、
ハワイ大学で知り合い、再婚したことに伴い、1967年にインドネシア・ジャカルタへ移住。

地元の学校に10歳まで通う。
1970年に母と継父の間で異父妹のマヤ・カッサンドラ・ソエトロが誕生している。
1972年、母がソエトロと一時別居してホノルルへ帰国。

その後、1977年に母は人類学者の仕事でオバマをハワイの両親に預け、
インドネシアに戻り、1994年まで現地に滞在した。

ハワイにおいて白人の母親と母方の祖父母によって育てられたという出自である。
母方の祖父母はスタンリー・ダナムとマデリン・ダナム。
1980年に母のアンと継父のソエトロとの離婚が成立。

1971年に地元の有名私立小中高一貫校のプナホ学園に5年生として転入。
在学中はバスケットボール部に所属。
また、高校時代に飲酒や喫煙、大麻、コカインの使用を自伝で告白している。  


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2008年11月09日

バラック・オバマ

バラック・フセイン・オバマ・ジュニアはアメリカ合衆国の政治家である。

第44代アメリカ合衆国大統領当選者。
現在イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員である。政党は民主党。

現在、唯一のアフリカ系アメリカ人の上院議員であり
選挙により選ばれたアメリカ史上3人目のアフリカ系上院議員でもある。

初の1960年代に誕生の、また、ハワイ州生まれの初の大統領となる。  


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