2008年11月09日

青年時代

1979年に同高校を卒業後、
カリフォルニア州ロサンゼルスの単科大学の私立オクシデンタル大学に入学。

2年後、ニューヨーク州のコロンビア大学に編入し政治学、特に国際関係論を専攻する。

1983年に同大学卒業後、ニューヨークで出版社[2]やNPOで勤務し、1年間を過ごした。
その後、イリノイ州シカゴに転居した。
シカゴでは教会が主導する地域振興事業(DCP)の管理者として3年間従事し、
職業訓練支援などを行った。
事業所の人員を1名から13名に増員させ、
年間予算を当初の7万ドルから40万ドルに拡大させるなどの業績を残した。

1988年年央にケニアと欧州を旅行し、ケニア滞在中に実父の親類と初めて対面した。
同年秋にハーバード大学ロースクールに入学。

1990年2月にはアフリカ系として史上初の「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長を務めた。

1991年、法学博士の学位を取得、
同ロースクールをmagna cum laudeで修了しシカゴ大学の法学フェローとなる。

1992年に、シカゴの弁護士事務所で知り合ったミシェル・ロビンソンと結婚し、
1998年にマリア、2001年にサーシャの2人の娘をもうけた。
1995年には、自伝『Dreams from My Father』を出版。



Posted by トリニータ at 18:18 │Comments(0)
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